浦和大歳の市「十二日まち」と調神社
浦和の初冬の風物詩『十二日まち』は毎年十二月十二日に行なわれるので十二日まち(じゅうにんちまち)と呼ばれているが、その起源を知る人はあまりいないように思う。すなわち大歳の市であり、新年を迎えるにあたり神棚や熊手を始めとする縁起物、餅を搗く臼や杵など、茶碗、箸などの家庭用品を売ったのが始まりであるとされている。それではなぜ12月12日に行う事になったのであろうか。又、いつ始まったのであろうか。実は意外と新しく、明治二十五年頃である。この事は調神社入口左右の御影石柱左に『大正五年之建』右に『大歳の市第廿五年記念』と刻まれているので是非ともご覧頂きたい。また当時の浦和町に古(いにしえ)より続く「二七の市」、つまり毎月二と七のつく日に旧中山道浦和宿、本陣(現・常盤公園)へ中山道から続く通りに近郷から野菜や米他、生活用品をもちより、売買したとされている。その市を年に一度の大歳(年末)の市としてに盛大に開催し、12月12日を御止(おとめ)の市(いち)としたとされるようだ。それ以来今日まで戦時中をのぞき、欠かさず開催されて来た。
筆者が子供頃には調神社から中山道の両側はほとんどが商店で、どの店も威勢よく商売されてきたように思うが、我が家は理髪店なので店先に向かいの八百久が店を出したりで、かえって暇で、親父などは『これも年に一度だから仕様が無い』と言いながらけっこう楽しんでいた。従業員もこの日は早上がり出来たのである。店の角では毎年魚の乾物屋の行商人も出ていて、七輪で炭をおこし、塩鮭や、目刺を焼いて試食をさせけっこう売っていた。実は売れ残ったすべては我が家に場代と言う事ですべて置いていってくれたので暮の若衆の賄いには事欠かなかった。又、当時風呂は薪で焚いていたので魚はいっていた木の箱はよく燃えていたのを思い出す。また恒例でトイレを貸したり、水をあげたりして親方は暇な時間には髪を切りに来て気を利かせていた。

最近の十二日まちは平日でも大変な 人出であるが上記のような縁起物より飲食関係のお店が圧倒的に多い。また相変わらずの射的や輪投げも懐かしい。

十二日まちの起源を示す正面入口の石柱。

懐かしい小屋掛。昨年はなぜかお化け屋敷だけであった。見世物小屋はなくなってしまったのだろうか・・・あにはからんや・・一昨年の開催時に、どうも子連れのお客さんを脅かしてしまい、クレームが付いて『十二日まち』に来づらくなってしまったらしい。はたして、今年ははたして来るか・・・・・。