戦前の調神社入口
奥に社務所もなく、通称駒兎も現在のとは違う。銅製の為、先の大戦で軍に接収されてしまった。
右の駒兎の後に聳える石塔は『懸社延喜式内調神社』と刻まれており、明治時代末期、高砂町の有力者が伊勢神宮参拝を記念して奉納した。
奉納名は『高砂講』

現在の入口
奥に社務所も見え、樹木も鬱蒼とし、駒兎の形もはっきりと違いが判る。
戦後、仲町の玉蔵院より授かり移築されたと言われている。

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浦和・北星堂所有